菊水鉾は昭和27年(1952年)に作られた昭和の鉾です。

菊水鉾 きくすいほこ

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 菊水鉾の名は室町時代末の町内にあった千利休の師、武野紹鴎(たけのしょうおう)の邸内の菊水井(きくすいい)に由来します。菊水鉾は幕末の元治元年(1864)の兵火で焼損しましたが、それより88年目の昭和27年(1952)に一部焼け残った懸装品部材を使って新しく作られました。

 菊水鉾の鉾頭は金色に輝く透かし彫りの十六辨菊華(じゅうろくべんきくか)を鉾先に付けられています。水平に象られた菊の花は直径が50センチもあると説明されています。真木(しんぎ)には藍地に金の字で「菊水」と浮き彫りされた額が付けられています。

 屋根が山鉾の中で唯一の唐破風造りの大屋根を持ち、破風には極彩色の鳳凰の懸魚(けぎょ)が輝いています。翠簾(すいれん)を下げているのも菊水鉾の特徴です。平成25年には「大黒天」の前懸が新調され、この前懸を掛けて巡行しました。胴懸は皆川月華作で2頭の麒麟が走るものと、2頭の獅子が描かれている2枚を左右に掛けて巡行しています。見送りは2羽の孔雀が大きく描かれた「孔雀花草図」でこれも皆川月華の下絵によって刺繍されたものです。

 菊水鉾の稚児人形は菊丸と名付けられた能装束を着けた童子の舞姿で、菊の露を飲んで700歳もの長寿を保ったという物語の能楽に登場する舞姿を人形に再現したものだそうです。

菊水鉾の鉾町
 京都市中京区室町通四条上る菊水鉾町