孟宗山
(もうそうやま)

孟宗山
 後世の範となる優れた孝行の説話を集めた中国の史話「二十四孝(にじゅうしこう)」より孟宗を取り上げた山で、幼少の頃に父を亡くした孟宗は年老いた母を養っていました。

 ある冬の日に筍が食べたいと言い出した母の為に孟宗は竹林に筍を探しに行ってみましたが、雪の竹林には筍はありませんでした。

 孟宗は天に祈りながら掘ってみると神の仕業か、そこだけ雪が溶けて土の中から筍が出てきました。

 筍を持ち帰り熱い筍汁にして母に与えると、母の病は癒えて長生きして天寿を全うしたという物語です。孟宗山は別名を「筍山(たけのこやま)」とも呼ばれています。

ご神体人形
 左手に雪が被る鍬をかつぎ、右手に雪を付けた筍を持って、口元に笑みを浮かべる孟宗の像で、一度焼損した後、寛政8年(1796)に作られました。

真松
 ちぎった白い綿をたくさん付けて冬の山の木を表現しています。

 前懸「瑞祥鶴浴図」、右胴懸「瑞苑浮遊之図」、左胴懸「瑞光孔雀之図」、見送「瑞苑飛翔図」とも写真でご覧いただけます。

見送
 日本画家の竹内栖鳳が喜寿の年の昭和15年(1940)の作で「白地墨画竹林図」で孟宗竹が風にそよぐ様を描いた墨絵です。

 きらびやかな極彩色の山鉾の見送の中で唯一の墨絵は特筆される存在です。

胴掛
 文化5年(1808)に作られた綴織の「仙境山水人物図」(この頁下の写真)を掛けていましたが、近年は平山郁夫による「砂漠らくだ行(月)」「砂漠らくだ行(日)」を掛けて巡行しています。

孟宗山の山鉾町
 京都市中京区烏丸通四条上ル笋町(たかんなちょう)